2015年 03月 24日
北風と太陽
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それならば...最低限文化的な電気のある暮らしを享受しつつ、なるべく電気を使わないで済む暮らしを自分なりに模索するのが、小市民である僕の道なのかな、と。
2008年から導入した5.97kWのソーラーパネルは我が家の電気消費量を1年トータルでマイナスにしてくれてるので、近い将来、もし僕の残りの人生より長持ちする大容量の蓄電池が実現したなら、余剰電力を48円で売って、安い夜間電力を買う方がおトクなのは判っていても、“武士は喰わねど、高楊枝”(苦笑)...電力会社との連係を切ってオフグリッドな環境で暮らせたら良いな、とも思う。
そして、微々たる抵抗ではあるけれど、太陽由来の電気が使えない自宅外で使うiPhoneやMacBook Airの消費電力はVoltaicのポータブルパネルでこまめに発電して使うように心掛けている。そして、お天気が良ければ、仰角&方位を最適化すると10Wのパネルでインジケーター1個のエンプティ寸前から満充電まで8時間ほどなので、これからの季節は2台のV60バッテリー(16,000mAh, 60Wh)を交互にお日さまで充電しながらMacBookAirを使い続けることが出来るのだ。(*現在はこのV60がV72にアップグレードされて容量アップしたみたいだけど、発電量が同じなら一日に作られる電力は同じなので、これで十分。)
お日さま発電が足りないときは、ついついACアダプタを使ってしまうけれど、その日に発電しただけを翌日に使う&バッテリーが切れたらまた明日&お天気が悪かったら使わない...CO2と地球温暖化の関係がどうこうという、小難しいお話はともかく、ゲーム感覚でそういう暮らしを試みるのも悪くないのかな?なんて思うのだ。
イソップ童話の「北風と太陽」じゃないけれど、原発を推進する側にもそれなりの事情や理由があって、北風が無理矢理に旅人のコートを吹き飛ばそうと頑張れば頑張るほど、旅人は上着をしっかり押さえてしまいコートを脱がせることが難しくなるわけで...直接的&直情的に接するよりも、ゆっくり着実に環境を変える努力を払う方が、最終的に良い結果に繋がるってこともあるのかもしれない...年を取って、そういう考えに変わって来た自分に軽い驚きを覚える。
原発はエネルギ−問題ではなく、安全保障に関わる問題でもあるのだし、原発が動いてないと仕事を失う人や、自分の父親の人生を完全に否定されることになる原発を推進したり誘致した人たちの息子さんたちは、たとえ電力需要が今の半分になっても、止めるわけにはいかない...つまり"旅人"は寒いからコートを着ているわけではないので...童話の結末とは違って、たとえ太陽さんがどれだけ頑張っても、そのコートを脱がせることは出来ないんじゃないかとも思うけど。
とにもかくにも、死んで行く時に自らの人生を振り返って、後悔しなくて済むように。
子や孫に自分の行為のツケを払わせたり、後始末のために人生を棒に振らせたり、他の誰かから責め続けられて苦しんだり...そういう子や孫の姿を何の手出しも口出しも出来ずに、違う世界から見守るしかないことこそが「地獄に堕ちる」ということ(閻魔さまってのは、たぶん自分の“良心”が具現化したものだと思うし)なんじゃないかと思うわけで...そう言う意味で、他人さまはともかく少なくとも自分だけは(笑)、地獄に堕ちることのないよう、自分に出来ることを少しづつコツコツとやるしかないのかなって思う。
ごめんな、でもオレかて、生きてる時、自分なりにやれることはやったんやもん...彼の世から、せめてそう言い訳が出来るように。
by papapaddleraki
| 2015-03-24 16:55
| -ソーラーパワー