2016年 01月 10日
“常識”を疑え!
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年を取ってちょっと変わって来たなって思うのは、こうした若い頃だったら荒唐無稽であり得ないって一笑に付して終わりだった事柄を、もしかしたら!?って思えるようになってきたこと。
経験を重ねれば重ねるほど、物知りになって常識的にあり得ないことを信じなくなるものだと思ってたんだけど、僕の場合は逆に世界は不思議に満ちていること、自分がいかに無知であるかってことを思い知らされるようになって...どんどん感受性が高まって来ている気がする。
他人の行いについても同じで、若い頃だったら理解出来なかったり、断じて許せなかったこと...例えば同性愛だったり、不倫だったり(笑)...も、自分は自分、他人は他人、自分は出来ないけれど、他人が自分の責任と能力の範囲でやってるぶんには、な〜んも問題ないじゃん!なんて思えるようになってきた。(ゆえにベッキーがゲス乙女の奥さんからならともかく、赤の他人からアレコレ言われるのが全く理解出来ない...笑)
そんな意味で、若い頃の方がもっと常識的で、良い意味でも悪い意味でも“大人”だったような(苦笑)
自分の知ってるもの、目に見えるものだけが存在し、それ以外は無いことにするという価値観。
もしかしたら知らず知らずのうちに僕もそんな価値観によって"心の目"を閉ざされてしまっているのかもしれないけれど、自然の中で野鳥や野生動物を見つけるたびに感じるのは、『そこにそんな生き物が居るはずがない。』って思った瞬間、本当に見えなくなってしまうのだということ。
いつでも心のアンテナ&センサーを高く敏感にして、“...はずがない”ではなく“...かもしれない”という気持ちを持ち続けていたいな、と思う。
by papapaddleraki
| 2016-01-10 23:31
| -雑感