2013年 01月 30日
CINEMA DAY(Les Misérables&Life of Pi)
|
一昨日9:15の今日9:00の予想天気図(ややこしい)。
黄海と小笠原の2つの高気圧、列島上に弱い気圧の谷があって雲が出そうだけど、風は収まって気温も少しマシになりそう。
これは行くしかあるまい...某雪山をMSRスノーシューで登って、山頂に雪のダイニングテーブルを掘り、(運が良ければ)日本アルプスの秀麗な山々を眺めながら熱々の鴨鍋を食べ、HIp-Soriで一気に滑り降りる計画で、地形図のプリントアウトやGPS、雪崩ビーコン、ゾンデまで準備して(ARQの点検もその一環)、行く気満々だったんだけど、昨夜遅くに...
ともちゃんから今日はAzuの最後の登校日...つまり僕らにとって学校に行く子供に「いってらっしゃい。」を言う最後の機会だよって聞かされ...
最後ぐらい両親揃って見送ってあげようってことで、雪山を延期してAzuを送って、昼過ぎに出迎える間に前から観たかった『Les Misérables』を。
子供の頃に“こども世界名作童話シリーズ”で「ああ無情」を読んでたし、大人になってからビクトル=ユーゴーの翻訳本も読んだし、鹿賀丈史さんのも観たのでストーリーは暗唱出来るほど知ってたけど、大スクリーンで観るリアルな背景で稀代の名優たちによって演じられる、いや歌われるLes Misérablesはスッバラシイ!
パンフレットで上映時間2:38と知って、思わずウソだろ?って呟いたぐらい...僕の感覚では90分(1:30)あるかないかに思えたほどの目眩く(めくるめく)大スペクタクル。普通のセリフがなく、全てが歌なんだけど、セリフでは説明しきれない登場人物の秘めた感情も、歌ならすごく良く伝わって来るし(しかもキャストが最高に歌が上手い人ばかり)、僕的にはスッゴク恥ずかしい気持ちになるダンスは抜きで演じられるので、違和感もギリギリのところで感じなくて済んだし...(苦笑)
原作の大切なテーマである、神の愛(アガペイ)、友情(フィレオー)、一族・家族への愛(ストルゲー)、恋愛(エロス)というキリスト教の4愛が絡み合いながら紡がれていく美しい織物のようなストーリーも、原作よりもミュージカルよりも、もちろん“こども世界名作童話シリーズ”よりも鮮烈でしかも理解しやすく、観終えた時にとりあえず隣に居る人を大切にしなくっちゃ!って思える作品だった。
そんなLes Misérablesを観終え、家に戻ってAzuを出迎えて一緒にランチを食べてた僕ら。14:30からの美大予備校にAzuを送り込んでから午後のFree timeの始まり始まり。準備万端なんだし、このまま近場の御在所岳にロープウェイ登山してスノーシュートレッキングしようかな?って思ったりもしたけど、鈴鹿のお山を眺めると雪雲に覆われて寒そう...じゃ、もう1本観ようぜ!ってことで、シネコンに舞い戻り、15:10スタートの『Life of Pi』を3D吹き替えで。 こちらは何の予備知識もなく、もちろん原作小説を読んだわけでもなく、ただ一人の少年とトラの漂流記のつもりで観始めたんだけど、奇しくもLes Misérablesと同じく宗教的背景を抜きに観てもその意味が解らない、とても硬派な映画。Les Misérablesはキリスト教の4つの愛が紡ぐストーリーだけど、こちらはヒンドゥー教をベースにキリスト教とイスラム教を同時に信仰するインド人の少年という複雑な宗教的背景を持つ主人公(メインストーリー唯一の登場人物でもある)が様々な困難に遭遇するたび、その3つの宗教の神さまが主人公に手を差し伸べる“施し”の種類&方法がいかにも!って感じでドキドキワクワクさせられながらもニヤリとさせられた。
ただ、その“施し”があまりにもステレオタイプなこと、つまり少年が心に抱くそれぞれの神さま(宗教)が、彼の願い通りに彼を導くことがずっと気になりながら観てたんだけど、この壮大なストーリーは実は極限状態に置かれた少年が観た幻ではなかったのか?という可能性をほんの少し残し、深い余韻とともに終わるところが、この映画の素晴らしいところ。
観る者に現実か幻かの判断を委ねる...たぶん少年の心を今も持ち続けているか否かのテストを受けたような、そんな感じがした。
僕もともちゃんも映画を観終えた時は『幻なんかじゃないよね。現実だったんだよね。』とお互いに言い聞かせるように帰って来たんだけど、家に帰ってパンフレットの一文を読んで愕然。
ベンガルトラ“リチャード・パーカー”の名前をめぐる驚愕のシンクロニシティとは
本作に登場するトラのリチャード・パーカーという名前をめぐっては奇妙な元ネタがある。リチャード・パーカーとは、エドガー・アラン・ポーが1837年に発表した唯一の長編小説「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」の登場人物と同じ名前なのだ。この小説は海を漂流中に食料が尽きた4人の男が、“いけにえ”となるひとりをクジで選ぶという恐怖物語。その結果、仲間に食べられるはめになった哀れな船員がリチャード・パーカーだった。
そしてポーの小説発表から47年後の1884年、“ミニョネット号事件”と呼ばれる摩訶不思議な事件が実際に起こった。イギリスからオーストラリアに向けて航海中のミニョネット号が難破し、乗組員4人は救命ボートで脱出。漂流20日目、衰弱した最年少17歳の乗組員が殺害され、他の3人の食料となった。生き残った3人は後日、裁判にかけられたが、何と殺された少年の名前はリチャード・パーカーだった。
まさに驚くべき歴史上のシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)。このエピソードを念頭に置いて映画を鑑賞すると、新たな受けとめ方が浮かんでくるのかもしれない。
ヲイヲイ!パンフレットが映画の余韻を台無しにしてどうするっ!
でもヒンドゥー教徒の家族が船内で牛肉のシチューを食べるのと、ベジタリアンの少年が漂流中に魚を食べるのと、幻でない現実に起きた(かもしれない)出来事との間に何の違いがあるのだろうか?...深く考えさせられるし、僕にとって平凡で惨めだった高校時代が今では素晴らしく懐かしく思い出されるのと同じように、少年が現実とは全然違う幻を現実であると思い込むのは、壊れそうになる精神を保つために必要なことだったのかもしれないな...そんな風にも思える。
そんなわけで今日はCINEMA DAY。
Les MisérablesとLife of Pi...合わせて284分。チーズ味と塩バター味のポップコーンMサイズを2カップ、PEPSIのMを2カップ消費。
来月からはAzuも朝から深夜まで予備校なので、僕らは一日中Free time!雪山で鴨鍋は来週以降、お天気の良さそうな日に(苦笑)
黄海と小笠原の2つの高気圧、列島上に弱い気圧の谷があって雲が出そうだけど、風は収まって気温も少しマシになりそう。
これは行くしかあるまい...某雪山をMSRスノーシューで登って、山頂に雪のダイニングテーブルを掘り、(運が良ければ)日本アルプスの秀麗な山々を眺めながら熱々の鴨鍋を食べ、HIp-Soriで一気に滑り降りる計画で、地形図のプリントアウトやGPS、雪崩ビーコン、ゾンデまで準備して(ARQの点検もその一環)、行く気満々だったんだけど、昨夜遅くに...
ともちゃんから今日はAzuの最後の登校日...つまり僕らにとって学校に行く子供に「いってらっしゃい。」を言う最後の機会だよって聞かされ...
最後ぐらい両親揃って見送ってあげようってことで、雪山を延期してAzuを送って、昼過ぎに出迎える間に前から観たかった『Les Misérables』を。
子供の頃に“こども世界名作童話シリーズ”で「ああ無情」を読んでたし、大人になってからビクトル=ユーゴーの翻訳本も読んだし、鹿賀丈史さんのも観たのでストーリーは暗唱出来るほど知ってたけど、大スクリーンで観るリアルな背景で稀代の名優たちによって演じられる、いや歌われるLes Misérablesはスッバラシイ!
パンフレットで上映時間2:38と知って、思わずウソだろ?って呟いたぐらい...僕の感覚では90分(1:30)あるかないかに思えたほどの目眩く(めくるめく)大スペクタクル。普通のセリフがなく、全てが歌なんだけど、セリフでは説明しきれない登場人物の秘めた感情も、歌ならすごく良く伝わって来るし(しかもキャストが最高に歌が上手い人ばかり)、僕的にはスッゴク恥ずかしい気持ちになるダンスは抜きで演じられるので、違和感もギリギリのところで感じなくて済んだし...(苦笑)
原作の大切なテーマである、神の愛(アガペイ)、友情(フィレオー)、一族・家族への愛(ストルゲー)、恋愛(エロス)というキリスト教の4愛が絡み合いながら紡がれていく美しい織物のようなストーリーも、原作よりもミュージカルよりも、もちろん“こども世界名作童話シリーズ”よりも鮮烈でしかも理解しやすく、観終えた時にとりあえず隣に居る人を大切にしなくっちゃ!って思える作品だった。
そんなLes Misérablesを観終え、家に戻ってAzuを出迎えて一緒にランチを食べてた僕ら。14:30からの美大予備校にAzuを送り込んでから午後のFree timeの始まり始まり。準備万端なんだし、このまま近場の御在所岳にロープウェイ登山してスノーシュートレッキングしようかな?って思ったりもしたけど、鈴鹿のお山を眺めると雪雲に覆われて寒そう...じゃ、もう1本観ようぜ!ってことで、シネコンに舞い戻り、15:10スタートの『Life of Pi』を3D吹き替えで。
ただ、その“施し”があまりにもステレオタイプなこと、つまり少年が心に抱くそれぞれの神さま(宗教)が、彼の願い通りに彼を導くことがずっと気になりながら観てたんだけど、この壮大なストーリーは実は極限状態に置かれた少年が観た幻ではなかったのか?という可能性をほんの少し残し、深い余韻とともに終わるところが、この映画の素晴らしいところ。
観る者に現実か幻かの判断を委ねる...たぶん少年の心を今も持ち続けているか否かのテストを受けたような、そんな感じがした。
僕もともちゃんも映画を観終えた時は『幻なんかじゃないよね。現実だったんだよね。』とお互いに言い聞かせるように帰って来たんだけど、家に帰ってパンフレットの一文を読んで愕然。
ベンガルトラ“リチャード・パーカー”の名前をめぐる驚愕のシンクロニシティとは
本作に登場するトラのリチャード・パーカーという名前をめぐっては奇妙な元ネタがある。リチャード・パーカーとは、エドガー・アラン・ポーが1837年に発表した唯一の長編小説「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」の登場人物と同じ名前なのだ。この小説は海を漂流中に食料が尽きた4人の男が、“いけにえ”となるひとりをクジで選ぶという恐怖物語。その結果、仲間に食べられるはめになった哀れな船員がリチャード・パーカーだった。
そしてポーの小説発表から47年後の1884年、“ミニョネット号事件”と呼ばれる摩訶不思議な事件が実際に起こった。イギリスからオーストラリアに向けて航海中のミニョネット号が難破し、乗組員4人は救命ボートで脱出。漂流20日目、衰弱した最年少17歳の乗組員が殺害され、他の3人の食料となった。生き残った3人は後日、裁判にかけられたが、何と殺された少年の名前はリチャード・パーカーだった。
まさに驚くべき歴史上のシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)。このエピソードを念頭に置いて映画を鑑賞すると、新たな受けとめ方が浮かんでくるのかもしれない。
ヲイヲイ!パンフレットが映画の余韻を台無しにしてどうするっ!
でもヒンドゥー教徒の家族が船内で牛肉のシチューを食べるのと、ベジタリアンの少年が漂流中に魚を食べるのと、幻でない現実に起きた(かもしれない)出来事との間に何の違いがあるのだろうか?...深く考えさせられるし、僕にとって平凡で惨めだった高校時代が今では素晴らしく懐かしく思い出されるのと同じように、少年が現実とは全然違う幻を現実であると思い込むのは、壊れそうになる精神を保つために必要なことだったのかもしれないな...そんな風にも思える。
そんなわけで今日はCINEMA DAY。
Les MisérablesとLife of Pi...合わせて284分。チーズ味と塩バター味のポップコーンMサイズを2カップ、PEPSIのMを2カップ消費。
来月からはAzuも朝から深夜まで予備校なので、僕らは一日中Free time!雪山で鴨鍋は来週以降、お天気の良さそうな日に(苦笑)
by papapaddleraki
| 2013-01-30 23:16
| -映画