2009年 05月 26日
猫を飼うということ。
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結婚式を目前に憂鬱な気分になるマリッジブルー。記憶は定かではないけれど、確か僕らも楽しいけれどメチャ面倒な準備にケンカばかりしていた経験があって(僕らの場合は鬱ではなく激しいケンカが起きるんだけど...笑)、あれがマリッジブルーだったんだなぁと思い返すことが出来る。このブルーな気持ち...何も結婚に限ったことじゃなく、グランドキャラバンの出発日が近づいているのに全く計画が立たないor準備が進まない時なども夫婦喧嘩が勃発する頻度が高まるような気がする。
昨夜のAzuは少しだけブルー。
彼女の場合はマリッジブルーでもグランドキャラバンブルーでもなく、修学旅行ブルー(苦笑)。
楽しみな修学旅行である反面、準備のこととか、新型インフルエンザの影響で自由行動が大きく制限されて東京タワーに行けなくなったこととか(笑)、様々な要素がストレスになって彼女の表情を曇らせるのか、ちょっとお疲れ気味である。
そんなわけで今イチ元気がなく、夕方からソファでpatagoniaのシンチラブランケットを被ってゴロゴロしていたAzu。僕の帰宅と同時に縄張りのパトロールから戻ったちーちょが心配そうに彼女の顔を覗き込み、ピョン!とジャンプして彼女の両足の間に横座りした。
まるで彼女をいたわるように、まるで彼女を守るように。
photo:Azuに寄り添って寛ぐ昨夜のちーちょ。おNEWの首輪がカッコイイぜ!
猫を飼い始めて分かったことのひとつに『猫は癒しの存在である』ということがある。自由奔放、自分勝手、何を考えているのか正直ワカラン...猫はあまり人に媚びない動物である。犬に比べて表情に乏しいので感情が分かりづらいし、飼い主を飼い主だと思っていないというか、飼われているという自覚が皆無というか(飼うっていう字は“食を司る”って書くけど、司ったりしてないしなぁ...)、ヒエラルキーに無縁な“同居人”である。特にウチの2匹は野良の出身で、ヒマさえあれば野鳥やヘビやトカゲを捕獲してみせて、仮に僕らが飼えなくなってもそれなりに独りで生きていけるんだぜ!オーラがプンプン(苦笑)。
そんな野生動物っぽい強さを見せたかと思えば、時々大きな目を黒目がちにして僕らの足元に擦り寄ってきてスリスリしながら、爪でガリガリして『ニュワァァ~ン♪(ねぇ~、抱っこしてぇ♪)』とソファや椅子に誘導し、ちゃっかり膝の上に載ってゴロゴロゴロ♪
これが犬のようにいつもなら「はいはい、しょうがないなぁ。」って感じだけど、猫が甘えるのはごく稀なので妙に感激してしまうし、ヨシヨシって撫でようとすると突然僕の指にガブッ!って噛み付いて、ひらりと身を翻してどこかへ姿を消してしまう。
そんな気まぐれな猫たちが必ず家族にすり寄る時...それは昨日のAzuのように人間が何かしら弱っている時だ。例えば、子供たちが風邪をひいて熱がある時、ちーちょとうりが交代でベッドに寄り添う。氷枕を交換してくれるわけではなく、身体の一部を病人にピタリとくっつけてただ眠るだけなんだけど、その時ばかりは外出を控え、とにかく甲斐甲斐しく添い寝する。
これは何も病気の時だけではなく、僕が仕事で大きな問題を抱えて落ち込んでいる時、ともちゃんが鬼旦那とケンカして泣いている時、そしてAzuが修学旅行ブルーで何もする気が起きない時...猫たちは深夜の猫集会を欠席して、僕らに寄り添うのだ。
彼らが寄り添ってくれたからって何が解決するわけではないし、彼らに悩みを打ち明けたところで的確な解決策を伝授してくれるわけでもない。でも僕のお腹の上の猫たちの重量感を感じながら、何て説明したら良いのか分からないけれど、苦しみや悩みをチュー!って吸い取ってくれるスポンジみたいな感じがして、思わず猫相手にありがとうね、なんて呟いてしまう時がある。
追いかけると逃げる、逃げるとすり寄る、弱っていると甲斐甲斐しく世話をする...まさにこれは“男たらし”のオネエチャンが使う手法...僕はすっかり騙されてしまうわけ(笑)なのだけれども、ちーちょは全てお見通しとばかりに哲学者のように遠い目をして、うりはピーピーと鼻づまりを鳴らして、ただただ僕らに寄り添うのである。
昨夜のAzuは少しだけブルー。
彼女の場合はマリッジブルーでもグランドキャラバンブルーでもなく、修学旅行ブルー(苦笑)。
楽しみな修学旅行である反面、準備のこととか、新型インフルエンザの影響で自由行動が大きく制限されて東京タワーに行けなくなったこととか(笑)、様々な要素がストレスになって彼女の表情を曇らせるのか、ちょっとお疲れ気味である。
そんなわけで今イチ元気がなく、夕方からソファでpatagoniaのシンチラブランケットを被ってゴロゴロしていたAzu。僕の帰宅と同時に縄張りのパトロールから戻ったちーちょが心配そうに彼女の顔を覗き込み、ピョン!とジャンプして彼女の両足の間に横座りした。
まるで彼女をいたわるように、まるで彼女を守るように。
猫を飼い始めて分かったことのひとつに『猫は癒しの存在である』ということがある。自由奔放、自分勝手、何を考えているのか正直ワカラン...猫はあまり人に媚びない動物である。犬に比べて表情に乏しいので感情が分かりづらいし、飼い主を飼い主だと思っていないというか、飼われているという自覚が皆無というか(飼うっていう字は“食を司る”って書くけど、司ったりしてないしなぁ...)、ヒエラルキーに無縁な“同居人”である。特にウチの2匹は野良の出身で、ヒマさえあれば野鳥やヘビやトカゲを捕獲してみせて、仮に僕らが飼えなくなってもそれなりに独りで生きていけるんだぜ!オーラがプンプン(苦笑)。
そんな野生動物っぽい強さを見せたかと思えば、時々大きな目を黒目がちにして僕らの足元に擦り寄ってきてスリスリしながら、爪でガリガリして『ニュワァァ~ン♪(ねぇ~、抱っこしてぇ♪)』とソファや椅子に誘導し、ちゃっかり膝の上に載ってゴロゴロゴロ♪
これが犬のようにいつもなら「はいはい、しょうがないなぁ。」って感じだけど、猫が甘えるのはごく稀なので妙に感激してしまうし、ヨシヨシって撫でようとすると突然僕の指にガブッ!って噛み付いて、ひらりと身を翻してどこかへ姿を消してしまう。
そんな気まぐれな猫たちが必ず家族にすり寄る時...それは昨日のAzuのように人間が何かしら弱っている時だ。例えば、子供たちが風邪をひいて熱がある時、ちーちょとうりが交代でベッドに寄り添う。氷枕を交換してくれるわけではなく、身体の一部を病人にピタリとくっつけてただ眠るだけなんだけど、その時ばかりは外出を控え、とにかく甲斐甲斐しく添い寝する。
これは何も病気の時だけではなく、僕が仕事で大きな問題を抱えて落ち込んでいる時、ともちゃんが鬼旦那とケンカして泣いている時、そしてAzuが修学旅行ブルーで何もする気が起きない時...猫たちは深夜の猫集会を欠席して、僕らに寄り添うのだ。
彼らが寄り添ってくれたからって何が解決するわけではないし、彼らに悩みを打ち明けたところで的確な解決策を伝授してくれるわけでもない。でも僕のお腹の上の猫たちの重量感を感じながら、何て説明したら良いのか分からないけれど、苦しみや悩みをチュー!って吸い取ってくれるスポンジみたいな感じがして、思わず猫相手にありがとうね、なんて呟いてしまう時がある。
追いかけると逃げる、逃げるとすり寄る、弱っていると甲斐甲斐しく世話をする...まさにこれは“男たらし”のオネエチャンが使う手法...僕はすっかり騙されてしまうわけ(笑)なのだけれども、ちーちょは全てお見通しとばかりに哲学者のように遠い目をして、うりはピーピーと鼻づまりを鳴らして、ただただ僕らに寄り添うのである。
by papapaddleraki
| 2009-05-26 08:21
| -猫